金龍寺
2010年05月05日
昭和通りから一本中に入ったことろにある金龍寺。
『筑前国続風土記』『養生訓』などを書かれた
貝原益軒さんの墓所があることでも有名です。
永正5年(1508年)怡土(いと)群高祖(たかす)村(現在の糸島市)に
原田弘種が菩提寺として建立。のち高橋伊豆(長政の家臣)が荒戸山に移した。
そして、荒戸山に東照宮を建立する際に現在の地に移された。
古地図の中の福岡・博多 海鳥社 より
意外と気づかないんですが、福岡に寺社仏閣が多く残っているのは、
黒田家の影響が大きかったのでは。
貝原益軒先生の書かれた『筑前国続風土記』
を読んでみたいと思います。
『筑前国続風土記』『養生訓』などを書かれた
貝原益軒さんの墓所があることでも有名です。
永正5年(1508年)怡土(いと)群高祖(たかす)村(現在の糸島市)に
原田弘種が菩提寺として建立。のち高橋伊豆(長政の家臣)が荒戸山に移した。
そして、荒戸山に東照宮を建立する際に現在の地に移された。
古地図の中の福岡・博多 海鳥社 より
意外と気づかないんですが、福岡に寺社仏閣が多く残っているのは、
黒田家の影響が大きかったのでは。
貝原益軒先生の書かれた『筑前国続風土記』
を読んでみたいと思います。
Posted by kenji at 13:25│Comments(0)
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