承天寺

2010年10月05日

打合せの時間まで間がありましたので、

ちょっと承天寺まで。




これだけ、都心にありながら、静かなんですよね。

外国の方も熱心に写真を撮ってましたよ。






うどん、饅頭の発祥の地でもあるそうです。 


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金龍寺

2010年05月05日

昭和通りから一本中に入ったことろにある金龍寺
『筑前国続風土記』『養生訓』などを書かれた
貝原益軒さんの墓所があることでも有名です。

永正5年(1508年)怡土(いと)群高祖(たかす)村(現在の糸島市)に
原田弘種が菩提寺として建立。のち高橋伊豆(長政の家臣)が荒戸山に移した。
そして、荒戸山に東照宮を建立する際に現在の地に移された。

 古地図の中の福岡・博多 海鳥社 より

意外と気づかないんですが、福岡に寺社仏閣が多く残っているのは、
黒田家の影響が大きかったのでは。

貝原益軒先生の書かれた『筑前国続風土記』
を読んでみたいと思います。 


Posted by kenji at 13:25Comments(0)神社・仏閣

観世音寺

2010年04月01日

大宰府にある観世音寺

先日読んだ本に触発されて、
写真を探してみました。

その衝撃の本のタイトルは、
『法隆寺は移築された ~大宰府から斑鳩へ』

関連記事は icon76 こちら

この写真を撮った時、そんな説があるなんて
全然知りませんでした。



普段なにげなく見ているところが、
また、違った目になります。


 ▲日本最古の梵鐘

法隆寺、観世音寺ともに
再度見てみたくなります。 


Posted by kenji at 18:46Comments(2)神社・仏閣

雷山観音(千如寺大悲王院)

2009年12月11日

雷山観音で有名な千如寺大悲王院を訪れました。



写真では、写せませんでしたが、
立派な観音様を拝んでまいりました。

十一面千手千眼観音菩薩。



そのその他にも樹齢400年の楓

室町時代に作庭されたという心字庭園など

心が洗われます。






 


Posted by kenji at 11:43Comments(0)神社・仏閣

宇美八幡宮

2009年11月01日

宇美八幡宮



宇美八幡宮に来て、最初に感じるのが

古く大きな木が多くあるということ。


大きな木があるだけで、神聖な場所って感じしますよね。



宇美八幡宮は、「古事記」に「その御子生みたまえる地を、

宇美とぞ謂ける」とあるように神功皇后が新羅からの帰国中、

この地で応神天皇を無事出産されたという伝説に由来して、

この二人を祭る安産信仰の神社です。



 ▲産湯の水 


Posted by kenji at 08:21Comments(0)神社・仏閣

桜井神社2

2009年09月01日

桜井神社

楼門
3間1戸の構造で、黒田家尊崇の神社の楼門にふさわしく
静かな木立のなかにも威風堂々とした姿を今に伝えます。
案内板より


正面に掲げられる扁額は、享保元年(1716年)に掲げられたもの。

平日は、人もまばらなんですが、
知る人ぞ知るパワースポットなんだそうです。 


Posted by kenji at 16:32Comments(0)神社・仏閣

桜井神社

2009年08月07日



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桜井神社(創立寛永6年)は、黒田藩主 黒田忠之によって
造営された筑前の守護神で、与止妃大明神を祭っています。
神明造り三殿の桜井大神宮(創立寛永2年)は、与止妃大明神
の御信託で建立され、伊勢皇大神宮の分神が祭られており、
筑前の神耺の信仰の拠点になっていました。
現社殿は、慶応2年、(1866年)に新築今日に至る。
                       桜井神社 案内板より

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 ちょっと小高いところにある桜井大神宮は、
神明造りのかや葺き屋根で、糸島に残っていることに
驚きました。



階段も雰囲気があります。

伊勢神宮の二見ヶ浦は、朝日がみれるのですが、
桜井神社の二見ヶ浦は、夕日がきれいなんです。

一度、参拝されてみてはいかが?

 


Posted by kenji at 17:45Comments(0)神社・仏閣

櫛田神社

2009年06月27日


もうすぐ、博多祇園山笠ですね。

山笠と言えば、櫛田神社

先日、博多街歩きでこの櫛田神社を訪れました。
案内人の方から、歴史や博多の商人と住人と神社との
関係をいろいろお聞きしました。

戦国時代、博多の街は、焼け野が原で、
それを見かねた博多の豪商、
神屋宗湛(かみやそうたん)や島井宗室(しまいそうしつ)が、
豊臣秀吉に博多の復興を願い出たことに
博多の街割りの原型ができてくる。



これが7つのブロックに分かれていた。
山笠の七つの流れにつながるそうです。

山笠が、博多の町内の団結と融和を
育てているというんですね。

博多と山笠、櫛田神社は、
とても深い関係にあったことを学びました。
 


Posted by kenji at 17:15Comments(2)神社・仏閣

崇福寺2

2009年03月19日


 ▲唐門

名島城の遺構で慶長年間(1596~1615)に
崇福寺に移築したと伝えられる。

福岡県文化百選 建物編 西日本新聞社より




私の事務所の前は、玄洋社の跡地の石碑があります。
この崇福寺には、その玄洋社で活躍した人たちのお墓があります。

頭山満さん、来島恒喜さんら。

祖父が、玄洋社があった場所の近くということで
購入した土地だと聞いていましたので、
事務所建設の企画時にその玄洋社の歴史を
かなり調べました。

無事に建物も建ちましたので、
お礼のためのお墓参りです。


 


Posted by kenji at 17:27Comments(0)神社・仏閣

崇福寺

2009年03月18日

崇福寺

崇福寺は仁治元年(1240)に臨済宗大徳寺派の寺院として、
大宰府の横岳に創建され、数々の高僧を輩出したが、天正14年(1586)
の岩屋城の攻防の時に兵火にかかり焼失した。慶長5年(1600)、
黒田家初代藩主の黒田長政が現在地に移転造営し、
寺領三百石を寄進して黒田家の菩提寺にした。
福岡県文化百選建物編 西日本新聞社 より




山門は、旧福岡城の本丸表門だったのが、
大正7年(1918)に現在地に移築されている。
切妻造、本瓦葺2階建てで、入り口は正面から
向かって左側に潜り戸があるために、やや中央より
右に寄っている。これに対し2階の窓の位置は正面背面と
も左右対称である。入り口の両脇の巨大な柱と潜り戸横の
柱だけは隅に鉄枠をはめて防備している。
福岡県文化百選建物編 西日本新聞社 より





お寺には、珍しく武張った感じがするのは、
これが、お城から移築されたものが多いからだったんですね。


 


Posted by kenji at 17:02Comments(0)神社・仏閣

聖福寺2

2009年01月16日

私の事務所のビルの1階は、お茶屋さんです。
実は、日本茶の起源を調べてみると意外と聖福寺にたどり着くんです。



聖福寺を建立した栄西は、日本にお茶をもたらしたことでも有名です。

「建久二年(1191年)、栄西禅師が二度目の中国からの帰国にあたり
チャ種を持ち帰り、平戸の富春庵の裏山や、佐賀の背振山にも播いた
と伝えられている。」
 日本茶 百味百題 渕之上弘子著 柴田書店 より

「栄西は佐賀県神埼郡の背振山にあった霊仙寺の石上坊に移住して
禅規を深めるかたわら、携えたチャの種子を同坊の前庭に播種した。
これが今日に伝わる「石上茶」といわれるもので、後に博多の聖福寺
やその末寺に分播され、「本茶」とまで呼ばれるようになった。」
 FUKUOKA STYLE Vo.19 福博綜合印刷会社発行 より




普段平日などは、人も少なく、静かな場所なんですが、
すごい場所なんですね。

聖福寺を説明するには、禅やお茶(茶道)のことも
知っていなければなりませんね。
 


Posted by kenji at 16:58Comments(0)神社・仏閣

聖福寺

2009年01月15日



外国からのお客様を案内するときに
私だったら、まず聖福寺を案内すると思う。

聖福寺。ショウフクジといいます。
臨済宗始祖・栄西が建久6年(1195年)に建立。
1192年(いいくにつくろう鎌倉幕府)と同じぐらいの時期です。

山門の額に掲げられた「扶葉最初禅窟」(ふようさいしょぜんくつ)
は、日本で最初の禅寺という意味があり、
後鳥羽天皇から贈られたもの。
時の将軍・源頼朝の許可で建てられたものでもあり、
政府と天皇家という最強のバックアップで、
単なる一地方を越えた、とても格式の高いお寺なんです。



参考資料
 「博多に強くなろうシリーズ No.53」 西日本シティ銀行発行
 福岡なるほど図鑑 プランニング秀巧社


 


Posted by kenji at 17:00Comments(0)神社・仏閣